瞬間-moment-

時間の無駄。

時間と空間に制限される感性

カントにおける「アプリオリ」の概念[編集]
「わたしは何を知ることができるか」「わたしは何をなすべきか」を問い、自然や人間を認識する「理性」(理論理性)の限界を明らかにするために批判哲学を打ち立てた18世紀ドイツの哲学者イマヌエル・カントは、哲学もまた数学や自然科学にならって、必然的で普遍的な思考方法を獲得しなければならないと主張した。そして、そのためには、人間のあらゆる経験から独立して、理性自身が認識のわく組みを決めることができなければならない、とした。これが「アプリオリな認識」である(アプリオリな認識のうち、経験的なものをまったく混入していない認識を「純粋認識」と呼ぶ[1]。

カントによれば、時間および空間はアプリオリな概念である。なぜならこの2つは、あらゆる経験的認識に先立って認識されている概念だからである[注釈 1]。

なお、この2つは自然に想像される時間あるいは空間ではなく、形式的なそれである。感覚的には太陽が地球を回っているように「感じられる」としても、実際にはそうではないという比喩をカント自身も援用していることから、ある新しい「構成」のために、それらは純粋直観にあたえられるのである[注釈 2]。この空間は、物理空間に先立つ(=アプリオリな)空間である。純粋直観が不可能であればヒューム的懐疑に陥るという懸念にも留意されたい。

アプリオリ - Wikipedia

 

経験に先立つのは時間と空間。

アインシュタイン相対性理論に興味があるとすれば
時空が変化すること。

時空を変化させる力は重力。

 

今は、カントのほうを考えるから、
時空は所与のものとする。

所与のものという表現をほとんど使ったことが無いので、
適切かどうか知らないが。


時空は変化しない、決まったものとして考える。

 

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その画像を例にすると

画家
絵画
キャンバス
物自体


時間と空間はキャンバス

人間の認識はキャンバスに描かれる絵画なのである。


ニーチェの遠近法とか別のことを考えるのも興味深い。


物自体よりもキャンバスの絵のほうが

要するに芸術のほうが偉大であるとするのは
芸術に価値をおいているのだろう。


認識論もこれが音楽だったり、別の芸術だったり、
作者や鑑賞者、モデルだったすると話が変わってくるだろう。

カメラの登場によって、リアリズムよりも絵画独特の表現が要求される。


ところで、この説明で正しいのかどうか知らない。